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1973年5月「サンデー毎日」日本最後の暴動!?国鉄焼き討ち騒動のてんまつ





1973年5月「サンデー毎日」

半世紀前の記事です。

古雑誌調べでみると、これが一般の人々が暴徒化する「日本最後の暴動!」ではないかと思うのであります。


被害総額9億6千万円(当時)

逮捕者138名


それでは、首都圏国電暴動のてんまつを紐解きます。


国鉄順法闘争。ストみたいなものです。これは、とにかく電車がこないんです。

すごい徐行運転などで人々がホームにあふれかえり、満員で電車にも乗れないので

あります。牛歩戦術みたいなものです。


3月13日に上尾駅から始まったイラつく乗客の暴動が

4月24日闘争の再開で首都圏に広がります。午後8時頃から大宮、赤羽、上野と

京浜東北線を南下しながら、国鉄打ちこわしは、始まります。投石・発煙筒・売店

商品略奪等がエスカレートしていきます。


赤羽駅では、防衛庁事務官が週刊誌1冊、コーラ1本、2級酒1本盗んで逮捕されます。

上野駅では、みどりの窓口の奥の金庫とロッカーから現金6百万円盗まれました。

上野駅、運命の午後9時半。駅の電源が切られて真っ暗闇。暴動開始です。


暗闇が暴動状態を生んで上野が落ち、国鉄が止まります。


被害が大きい新宿駅にも数分後には、飛び火し、ショーウインドーのガラスは割られ、

中のカメラやラジオはなくなって、自販機も破壊され、小銭は無い。

このような打ちこわしは、午前零時頃まで続き、破壊と略奪の跡だけが残りました。


約4~5時間のあいだに都内で約5万人が暴動に参加し、


被害総額9億6千万円(当時)

逮捕者138名


各駅で同時多発で起こったので、国鉄・警察等対応が遅れたようです。


しかし、不思議なのは、この日の後も再開の遅れ、全社ストなどもありましたが、

特に大きな問題おこらず、翌日なども線路を歩いて通勤しているのであります。


「一般の乗客が暴徒化する。」

今の日本だとちょっと考えにくいですが

考察すると、利用者の皆が同じように早く電車来いと思っていて、共通の思いがあり、

「敵は国鉄」になり、文句言ったり、駅員に詰め寄ったりする人を、自分の代弁者の

ような感じになっていた人は多いと考えられます。同じストレスを感じていれば同志状態。


新宿駅長は、「ちょっと派手に動いている若者がいて、周りの人がそれを煽っている。」


移動が出来ないから、煽るか、同じことをやってストレス解放。

流れにのって火事場泥棒。という流れがあるようです。


最終的に、不思議な気持ちになりますが、誰が得して誰が損したのでしょうか?

国鉄側は、9億6千万の被害。社員もケガ。

暴徒側は、逮捕・ケガ・暫らく電車が使えない。

一般人側は、ケガ・シンプルに電車が使えない。


長い目でみると、このような暴動などがあって社会や政治からも批判が起こり、

国鉄からJRに移行して良くなっていくのであれば、この暴動も大きな犠牲と共に大きな

意味があったのかもしれないのであります。

 

「首都圏国電暴動」荒々しい日本でした。


時代考察参考雑誌 

1973年5月「サンデー毎日」







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